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映画監督の阪原淳(さかはらあつし)さんは地下鉄サリン事件の被害者:ハートネットに

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映画監督の阪原淳(さかはらあつし)さんが、3月23日のハートネットの主人公。

阪原淳(さかはらあつし)さんは今、地下鉄サリン事件に関するドキュメンタリー映画を製作されているのですが、実は坂原敦さん自身も地下鉄サリン事件の被害者でもあるのです。

そして今年の2月には、宮崎市の高校で、公開前の映画を見てもらいました。

自らの壮絶な体験を語りかけ、地下鉄サリン事件を知らない世代から率直な意見を集めて、作成中のドキュメンタリー映画に繁栄させるためです。

 

地下鉄サリン事件とは

1995年に起こった地下鉄サリン事件直後の様子。 (都内地下鉄の出口付近)

1995年に起こった地下鉄サリン事件直後の様子。
(都内地下鉄の出口付近)

地下鉄サリン事件とは?

地下鉄サリン事件とは、1995年3月20日、オウム真理教の信者が都内を走る地下鉄の3つの路線の車内で、猛毒の神経ガス、サリンを散布。

それにより、死者13人、負傷者約6300人を出し、日本国内だけでなく世界を震撼させた事件。

地下鉄サリン事件と阪原淳(さかはらあつしさん)

地下鉄サリン事件当日の朝(1995年3月20日)、当時は築地に本社があった広告代理店「電通」に勤務していた阪原淳さん(46)は、自宅近くの六本木駅から地下鉄日比谷線の電車に乗り込みます。

いつもどおり1両目の一番後ろのドアから乗りました。ドアから入ってすぐ左の席の床に、弁当箱のような新聞包みがあって、透明な液体が染みだしていた。

その座席には、初老の男性がぐったり座っていて、ぼくも隣に座ろうとすると、『え、そこに座るの』みたいな感じの乗客の視線を感じたそうです。

坂原さんは、普段だったら、何かがそこにあっても気にせず座ってしまうそうですが、その時はなぜか座らずに立っていました。

すると、段々目の焦点が合わなくなってきて、何か臭いも感じた。

その瞬間、1週間ほど前に読んだ週刊誌の松本サリン事件の記事とその新聞包みが一気に結びついて、『わっ、これサリンと違うか!』と思って、すぐに隣の車両に移ったそうです。

その判断が生死を分け、座っていた初老の男性は、その車両でただ一人亡くなり、後にそれを知った阪原さんは「あの時隣に座っていたら、どうなっていたか」と。

 

 

プロフィールと経歴

・名前:阪原淳(さかはらあつし)

・生まれ:1966年 京都府生まれ。

・4浪して京都大学経済学部に入学。

・93年に卒業後、電通に入社。

・95年3月20日、通勤途上で地下鉄サリン事件に遭遇。

サリンが撒かれた車両に乗車し被曝。被害者となる。

・事件後、電通を退社。

・96年渡米しMBA取得。帰国後、02年、かつてオウム真理教側にいた女性とめぐり会い結婚。

・03年、離婚。09年、アカデミー賞の招待客としてレッドカーペットの上を歩くという経験をする。

 

自叙伝「サリンとおはぎ」も出版なさっています。

後遺症と闘いながら夢を追い続けると決め、「悩んで、悩んで、ものすごく苦しみ、毎日向精神薬を飲んで、ワイルドターキーを流し込みながら書いたそうです。

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映画監督になったきっかけ

阪原淳さんが映画監督になったきっかけは、自殺した友人と、生前にかわした約束でした。

1986年の春、2年目の浪人生活が始まり、予備校で親友になった松田恭との交友が始まります。

1年後、松田さんは立命館大学に入学。阪原さんはまた失敗。

予備校をやめて自宅浪人することにし、せめて体を動かすべきとはじめたアルバイトの新聞配達のアルバイトをはじめます。

松田さんが、久しぶりに会いたいと電話をしてきたのに、約束の日に、「大学でオリエンテーションがあるさかい、行けへん」と言ってきて、なんだかホッとしていた梅雨のある日。

新聞配達をしているときバイクが倒れて、新聞が濡れてしまいます。

ふと新聞を開くと「家出立命大生、警察で自殺」と。

こんな奴がいるのかと思って記事を読むと、「京都市右京区桂、桂ハイツに住む立命館大学一年生の‥」とある。

予備校時代の友人、松田さんだったのです。

カバンには遺書と太宰治『人間失格』があったそうです。

その松田さんと予備校でしていた3つの約束

1.京大に入る

2.アメリカの大学院でMBAをとる

3.アカデミー賞をとる、です。

そして、これを守ると決めたこと、が映画監督になったきっかけでした。

約束の1つめ、京都大学への入学はかないませんでしたが、2.アメリカの大学院でMBAをとるという約束は守られています。

そして今、取り組んでいらっしゃるドキュメンタリー映画は、アカデミー賞を狙っていかれるのだろうと思います。

地下鉄s厘事件から22年が経過して、私にとってはまだ、はっきりとした記憶として残っているのですが、確かに、若い世代の方はこの事件をご存知ないですね。

 

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  1. ドナウの船人 より:

    ハートネットTVを見ました。実は私にはこの映像が戦前の日本とダブって見えました。第二次世界大戦で日本はアジアを侵略し、軍は筆舌に尽くし難い行為を行ってきました。日本はこの責任を東京裁判という形で取ってきました。しかし未だに近隣諸国は責任の取り方が不十分だと言っています。このような批判に対して日本国民一人ひとりはどう謝罪すればいいのでしょうか。オウムの裁判は進行中です。アレフは型通りの謝罪をしたように思いましたが(?)、(広報部の)彼はどう言えばよかったのでしょうか。最後に阪原さんが言っていた、オウムはこの日本が生んだ団体なのだ!という言葉に、今の日本が重なります。

    • officeliberty より:

      時間が経っても、受け取る側に様々な感情を抱かせてしまう、こんな大きな事件は、謝罪だけで終らないのでしょうね。
      日本のゆがんだ部分の隙間から生まれたオウムも、世界のゆがんだ部分から生まれたであろうISも、規模ややり方は時代と共に変わっていくけど、同じかな?と思えます。
      古代からDNAに刻まれた農耕民族や狩猟民族の生き方、永遠と失うことができない人の心に潜む恐怖心から産まれる間違った支配願望。
      人類が存続する限り、ずっと続いていくのかなとおもえます。
      ある意味、これも進化の1つなのかも知れませんが・・・

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